なにを言われようが
投稿者: srtf 投稿日:2015/03/02 18:10
夫の実家の、ご近所状況は、非常に人付き合いが親密、濃厚。
限定エリア的特徴か、はたまた、義母の社交的な性格からか。
遠い親戚にあたる30代男性のお嫁さん(30代)。
前までは、少し離れたところに夫婦だけでマンション暮らしだった。
が、旦那さんの実家の同敷地内に家を新築してくれたので、そこに引っ越してきた。
で、そのお嫁さん、玄関に内側から鍵をかけている、らしい。
そのことで、姑は嘆き、回りに愚痴ったようだ。
わたしとしては、今までマンション住まいであったなら、内から鍵は、当たり前のこと、と思う。
ただ、在宅時には鍵をかける習慣のない田舎で、
同じ敷地内の、親と同居に近い状態なら、あれこれ言われるだろうなあ、と感じた。
親だけでなく、ご近所の人々にも知れ渡っている。
変わった嫁さんだ、と。
これといった娯楽も、情報も、人の動きもないからか、
ゴシップネタの格好の餌食にされ、離婚秒読みを噂されたりもしている。
わたしは、ぜったいに、あのエリアには住めない。
そんな干渉され、奇異の目で見られ、・・・息が詰まって、チアノーゼになりそうだ。
彼女のお姑さんの友だちが、これまた、ごくごく近くに住んでいて、家に入り浸り。
おそらく冷蔵庫の中まで知っていることだろう。
それが、互助システムが自然と整っている田舎や、人情たっぷりの下町の付き合いだというのかも知れない。
わたしは、そういう、プライバシー無視、土足どかどかは、非常に、大の大の大の苦手だ。
社宅でのお付き合いとかも、だ。
どの夫も、同期入社。
同じ年齢、同じ給料、同じ勤務先、同じ住まい、同じ間取り、
子供の通う幼稚園は、同じ。
金太郎飴的に、同じ暮らし。
どこに行くにも、○○さんがいつ、出かけた、いつ、帰ってきた、と、みんなの興味の目。
監視に近い。
トラブルを起こすと、夫の仕事に影響する。
なので、極力、自分は抑えて、難のないように。
息を殺して生活している・・・ように、わたしには見える。
わたしは、絶対に耐えられない。
でも、耐えて頑張っている方々は、偉い。
だが、ひとり抜け、ふたり抜け・・・次第に、社宅から転出していく。
各人、水を得た魚のようになる。
若い頃は、そうやって、みんな、なんらかの苦労をしている。
生活の基盤が出来るまでの間、歯を食いしばる。
若いときは、あまり意識してないかも知れないが。(わたしも、そうだった)
ひとになにを言われようが、ゴーイングマイウエイだったわたしは、
おそらく、ママ友グループみたいなものから、はずされていたんだろうと、想像する。
というか、ママ友たちとの遊びや、お付き合いは、ほんの短い期間だけで、
あとは、社会に出たので、小さな世界から、抜け出した。
(ただし、閉ざされた窮屈な世界でもなかった)
夫や子供、親戚、・・・そういう縛り、くくりの中でしか、自分が存在しないことに、耐えられなくなった。
家族は、なくてはならない大切なもの、核となる。
が、それだけ、というのは、あまりにも息苦しい。
人には、いろんな生き方があるので、本人が納得していることが、いちばんいい。
人がなにを言おうが、なにをしようが、自分の軸を持ち、ブレないで生きる。
なにを言われようが、批判した人のために、わたしは生きているのではない。
その批判した人の型や枠にはめられて生きるなんて、イヤだ。
価値観や好みを押し付けられても、自分は自分だ。
ただし、ひとの迷惑になるようなことは、だめ。
社会で生きるには、ルールというもの、つまり常識を持つことが不可欠。
陽気で、活発で、社交的な人もいれば、静かで、クールで、一人が好きな人もいる。
同じようなタイプの人と、遊べばいい。
一人が好きな人は、一人で遊べばいい。
必要に応じて、それなりに対応、協調するべきときは、仲良く。
無理に合わせるのではなく、大人の感覚で。不調和音は、極力、避ける。
それだけだ。
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限定エリア的特徴か、はたまた、義母の社交的な性格からか。
遠い親戚にあたる30代男性のお嫁さん(30代)。
前までは、少し離れたところに夫婦だけでマンション暮らしだった。
が、旦那さんの実家の同敷地内に家を新築してくれたので、そこに引っ越してきた。
で、そのお嫁さん、玄関に内側から鍵をかけている、らしい。
そのことで、姑は嘆き、回りに愚痴ったようだ。
わたしとしては、今までマンション住まいであったなら、内から鍵は、当たり前のこと、と思う。
ただ、在宅時には鍵をかける習慣のない田舎で、
同じ敷地内の、親と同居に近い状態なら、あれこれ言われるだろうなあ、と感じた。
親だけでなく、ご近所の人々にも知れ渡っている。
変わった嫁さんだ、と。
これといった娯楽も、情報も、人の動きもないからか、
ゴシップネタの格好の餌食にされ、離婚秒読みを噂されたりもしている。
わたしは、ぜったいに、あのエリアには住めない。
そんな干渉され、奇異の目で見られ、・・・息が詰まって、チアノーゼになりそうだ。
彼女のお姑さんの友だちが、これまた、ごくごく近くに住んでいて、家に入り浸り。
おそらく冷蔵庫の中まで知っていることだろう。
それが、互助システムが自然と整っている田舎や、人情たっぷりの下町の付き合いだというのかも知れない。
わたしは、そういう、プライバシー無視、土足どかどかは、非常に、大の大の大の苦手だ。
社宅でのお付き合いとかも、だ。
どの夫も、同期入社。
同じ年齢、同じ給料、同じ勤務先、同じ住まい、同じ間取り、
子供の通う幼稚園は、同じ。
金太郎飴的に、同じ暮らし。
どこに行くにも、○○さんがいつ、出かけた、いつ、帰ってきた、と、みんなの興味の目。
監視に近い。
トラブルを起こすと、夫の仕事に影響する。
なので、極力、自分は抑えて、難のないように。
息を殺して生活している・・・ように、わたしには見える。
わたしは、絶対に耐えられない。
でも、耐えて頑張っている方々は、偉い。
だが、ひとり抜け、ふたり抜け・・・次第に、社宅から転出していく。
各人、水を得た魚のようになる。
若い頃は、そうやって、みんな、なんらかの苦労をしている。
生活の基盤が出来るまでの間、歯を食いしばる。
若いときは、あまり意識してないかも知れないが。(わたしも、そうだった)
ひとになにを言われようが、ゴーイングマイウエイだったわたしは、
おそらく、ママ友グループみたいなものから、はずされていたんだろうと、想像する。
というか、ママ友たちとの遊びや、お付き合いは、ほんの短い期間だけで、
あとは、社会に出たので、小さな世界から、抜け出した。
(ただし、閉ざされた窮屈な世界でもなかった)
夫や子供、親戚、・・・そういう縛り、くくりの中でしか、自分が存在しないことに、耐えられなくなった。
家族は、なくてはならない大切なもの、核となる。
が、それだけ、というのは、あまりにも息苦しい。
人には、いろんな生き方があるので、本人が納得していることが、いちばんいい。
人がなにを言おうが、なにをしようが、自分の軸を持ち、ブレないで生きる。
なにを言われようが、批判した人のために、わたしは生きているのではない。
その批判した人の型や枠にはめられて生きるなんて、イヤだ。
価値観や好みを押し付けられても、自分は自分だ。
ただし、ひとの迷惑になるようなことは、だめ。
社会で生きるには、ルールというもの、つまり常識を持つことが不可欠。
陽気で、活発で、社交的な人もいれば、静かで、クールで、一人が好きな人もいる。
同じようなタイプの人と、遊べばいい。
一人が好きな人は、一人で遊べばいい。
必要に応じて、それなりに対応、協調するべきときは、仲良く。
無理に合わせるのではなく、大人の感覚で。不調和音は、極力、避ける。
それだけだ。
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