環境が変われば

投稿者:User icon mini dengluk 投稿日:2020/12/08 19:15

突然ですが、どういうタイトルをつけたらいいのか迷ってる時は先にブログの内容を書き始めます。そうすると、予定してた内容とは違って「こっちのことを書きなさいよ」 太陽能って感じで進んでいくことがあります。

って事で頭の中を整頓しながら書き進めます。

先に…本日はたこ焼きです

昼ごはんを食べそびれたので昼夜兼用で早目に食べました

水の分量を少し減らして白だしを入れるとソースをかけなくてもバクバク食べれて美味しいのでオススメです。

〜*〜

友人・知人は、子育てが終わったり、子育て真っ最中だったり、お孫さんが生まれたり、私のように子供がいない人もいます。

どの立場が良いとかはなく、人それぞれ今ある状況に生き、今ある状況に満足にし、今ある状況から抜けたいと思い、楽しくもあり、もがいたり、苦しんだりしてる。

子供がすぐ出来た人もいれば、不妊治療をして授かった人もいるし、子供がいない人もいる。

子供がいない人の中には、子供が授からなかった人もいれば、子作りをしなかった人もいる。

どの立場も自分と違う立場の事はわからない。

環境が変わると感心のある事というのも変わりつつあり、知らず知らずのうちに自分が今は出来ない環境を生きてる人を羨ましく思ってしまう事もある。

度が過ぎればそれは妬みに変わる。

いつかちゃんと書こうとは思っているが、人の小さな変化を敏感に感じる私は、相手が気になるのに気にしてないフリをしているのがわかってしまう時がある。

だからといって、気になってるよね?って空気感を出してしまうと、それは相手に妬みのタネを巻くことになるのではないか?と思い知らぬ顔をしている。

なぜそうなるのかといえば、それは環境が変わってきたのと同時に、それぞれの立場で気づきと成長の時なのだ。

その環境が欲しくて手に入れたはずなのに、絵に描いたような人生とは違った、、、なんてことはある程度想像はついても、いざそれが自分の身に降りかかった時一瞬後悔することもあるかもしれない。

そういう時だいたいの人は

自分が選んだ人生なんだから仕方ないんじゃない?

と話すだろう。

残念ながら、そのセリフに間違いはない。

間違いはないが間違ってる。

自分が選んだ人生だからと諦める為にこの世に生まれたのではなく、自分が選んだ人生だからどうやってる生きていこうと考える為にこの世に生まれてきたのだと私は思う。

〜*〜*〜

高校生の時オリエンテーションがあって「スカートではなくズボンで参加」との規則があったのだが、仲のいい友達は「足が太いからズボンは嫌だから休む」と言い出した。

ズボンがない場合は制服で参加すること。

とのことで、私は制服で参加するのは嫌だが友達は一緒に制服着てくれるなら参加してもいいと言ったので、私は一緒に制服で参加した。

後々写真を見て後悔した自分がいた。

大人になって久しぶりにその友達に会った時オリエンテーションの話をしたら全く覚えておらず、私は嫌々制服着て行って後悔したにも関わらず覚えていない

すごくショックだった。

それから何年も経って思った事は、彼女は自分の意思が通ったから気にもしていないが、私は自分の気持を大切にした上で納得して意思を譲ってなかったのだと。

生きてると、

自分の意思ばかりが通るとは限らない。

だからこそ、

自分はどうしたいのかをきちんと気持ちを知った上で、でも今は意思を通せないから今回は譲ろうと納得しないと高校生の時の私と同じことになる。

〜*〜*〜

今ある環境を守ることも、手放すこともできる。

相手や家族を想ってどちらを選ぶこともできる。

相手を想って…のつもりでも、

自分の気持ちをちゃんと確かめずに、

自分の気持ちを偽って、

相手を想っては違うんじゃないかな。

あなたはどうしたいの?

10年先は確かに大切だけど、私達は今を生きてる。今を大切に生きたら、10年先はもっと大切に生きてるはず。今の自分を大切に生きたら、10年先は自分だけでなく周りも大切に生きてると思う。

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