つくろわせることに

投稿者:User icon mini believegut 投稿日:2016/09/19 12:40

広大なるマロリー帝国の恐ろしき皇帝ザカーズは、中肉中背でつややかな黒い髪の、オリーブがかった肌の持ち主だった。その目鼻だちはごくふつうで、ハンサムでさえあったが、瞳は深い憂うつに閉ざされていた。年齢は三十五歳くらいで、その高貴な身分を示す装飾のいっさいない無地の麻のローブに身を包んでいた。
 ミシュラク?アク?タールの平原を埋め尽くすマロリー人の天幕の大海の真ん中に、かれの大天幕はあった。天幕の土間はとてつもない高価なマロリー製のじゅうたんで覆われ、金や真珠をはめこんだ磨きぬかれたテーブルや椅子が置かれていた。ろうそくの光が大天幕の中を明るく照らし、どこかで音楽家の小集団が低く沈んだ調べを奏でている。
 皇帝の唯一の友は何のへんてつもない青灰色の若い縞猫だった。ひょろ長いぎくしゃくした長い脚の動きがまだ幼さを残していた。ザカーズが沈んだ瞳におもしろがっているような表情を浮かべて見守るなか、若い猫は丸められた羊皮紙の玉にむかってそっと忍びよっていくところだった。動物の視線はひたすら獲物に注がれ、その脚は音もなくじゅうたんの上を横切っていった。
 王女セ?ネドラとその仲間たちが、大天幕に招じ入れられたとたん、クッションの並べられた低い長椅子に座していた皇帝は、手をあげて一行を制した。皇帝は目をじっと猫に注いだまま沈んだ声でつぶやいた。「今からこの猫が狩りを始める」
 猫はねらった獲物の近くまで忍び寄ると、姿勢を低くして後ろ脚をせわしなく動かし始めた。腹がぴくぴくと動き、尻尾が激しく左右にふられた。次の瞬間、猫は丸めた羊皮紙に飛びかかった。そのとたん紙玉がかさこそと音をたて、仰天した猫は飛び上がった。猫はこわごわと前足で紙玉を突いた。突然新しい遊びを発見した猫は、柔らかい前足で紙玉を小突きながら転がし、ぎごちない足取りでその後を追い始めた。
 ザカーズは悲しげなほほ笑みを浮かべた。「あれはまだ幼なすぎるのだ。学ばねばならぬことが山ほどある」そして優雅なものごしで椅子から立ち上がると、セ?ネドラにむかって一礼した。「ようこそ、王女さま」その格式ばった挨拶の言葉は、よく響きわたったが、まったく感情らしきものが感じられなかった。
「はじめまして、皇帝陛下」セ?ネドラもまた頭を傾けて挨拶を返した。
 ザカーズはいまだに意識の朦朧としたポルガラを支えるダーニクの方をむいて言った。「善人よ、どうかそのご婦人をここに横たわらせるがいい」かれは長椅子を指さした。「すぐに医者を連れてきて、病を診させよう」
「ご親切、ありがとうございます」口では儀礼的な言葉を述べながらも、セ?ネドラの目はザカーズの顔からいささかでも真意が読みとれはしないかと、忙しく動き続けていた。「このような情況での、てあついおもてなしにわたくしはいささか驚いておりますわ」
 皇帝は再びほほ笑んだが、どこか面白がっているようだった。「マーゴ人と同じように野蛮で頭のおかしいマロリー人に、礼儀作法など似つかわしくないと思っておられるのだろう」
「マロリーの人々の情報はほとんどわたくしどもには入ってきませんので、別段何も予想してはおりませんでしたわ」
「それは驚くべきことだ。われわれはあなたのお父上やアローン人の友人たちについて、実に多大な情報を持っているというのに」
「皇帝陛下はグロリムを使って情報を集めていらっしゃいますが、わたくしたちはあくまでも人の力に頼らねばならないからですわ」
「あなたはグロリムを過大評価なさっているようだ。かれらの忠節は第一にトラクに捧げられているのだ。二番目はかれらの仲間たちだ。グロリムはかれらにとって都合のいいことしか、わたしに聞かせようとしない。もっともときおり連中の一人からいささか手荒い手段で残りの情報も聞き出してはいる。そうすれば他の連中もわたしに対しては正直になる」
 そのとき大天幕に従者が入ってきた。かれはザカーズの前でひざまずくと、じゅうたんに頭をすりつけた。
「何用だ?」ザカーズがたずねた。
「皇帝陛下の仰せにより、タール国王殿をお連れしたのでございます」
「そうか、あやうく忘れるところだった。それではしばらく失礼させていただこう。緊急に片づけねばならない用件があるのでな。どうか王女さまもその友人がたもくつろいでいてくれたまえ」かれはセ?ネドラの鎧を批判するような目で眺めた。「食事を終えたら、あなたとレディ?ポルガラに、もっとふさわしい衣服を見しよう。この少年には何かいるかね」皇帝は、すっかり猫に夢中になっているエランドの方を見ながら言った。
「いいえ、けっこうですわ、皇帝陛下」セ?ネドラは答えた。彼女はめまぐるしく頭を働かせていた。この洗練された礼儀正しい紳士を相手にするのは思っていたよりもうまくいきそうだった。
「タール国王をここへ呼べ」ザカーズはうんざりしたように手を目の上にあてて命じた。
「かしこまりました。ただちにお連れいたします」従者は立ち上がり、大天幕を出るまぎわに、もう一度深々と頭を下げた。
 ミシュラク?アク?タールのゲゼール王は、つやのない濃茶色の髪のずんぐりした男だった。大天幕に案内されてきたかれの顔は死人のようにまっ白で、身体は激しく震えていた。「し、失礼いたします、皇帝陛下」耳ざわりな声でゲゼールは口ごもった。
「お辞儀を忘れておるぞ、ゲゼール」ザカーズが穏やかな口調でとがめた。ただちにマロリーの近衛兵が、ゲゼールの腹に固めた拳をめりこませた。タール国王は身体をふたつに折った。
「それでよい」ザカーズは満足げに言った。「さてここへ来てもらったのは、戦地からじつに不愉快なニュースが届いたからだ。わが軍の指揮官からの報告によれば、おまえたちの隊は戦場であまりかんばしい働きをしなかったようだな。わたしは兵士ではないが、おまえたちは逃げ去る前にあと一回はミンブレイト騎士団の攻撃に耐えるべきだったと思われる。だが報告によればおまえたちはそうしなかったそうだな。これについて何か弁明があるか?」
 ゲゼール王はわけのわからない言葉を口走り始めた。

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