花篝が尽きたなら

投稿者:User icon mini sfdgewdfe 投稿日:2016/03/17 12:40

黎明は音もなくゆっくりと、だが着実に夜空を統【す】べ始める。
開け放たれた障子窓の向こうに、たなびく雲に遮られてほろほろと霞みゆく十三夜の月が見えた。一方で明けの明星は磨きたての玉石のようにいっそう輝きを増し、小さな星々を縫い止めた闇の御簾は、役目を終えてするりするりと天界へ巻き上げられていく。東の方角にあるなだらかな山の稜線からはしだいに飴色の增強記憶力朝日が零れ始め、いまだまどろみに抱かれた地上にそっと、天女が肩に垂らす領巾【ひれ】よりも繊細な薄明の布を被せ掛けていた。
もうじき夜が明ける。昨日までとは違う朝が来る──。

目を凝らして遥かな空の饗宴を見守りながら、ジェシンはふっと口角を持ち上げた。思い切り笑わないのは、気を付けて引き締めていないと頬が緩みっぱなしになってしまいそうだからだ。初めて同じ閨【ねや】で迎える朝に、幸せのあまりだらしなくにやけた顔を晒してしまうのはみっともない。興ざめされてしまう。──などと自分を律してみるものの、昨夜の身も心もとろけるような秘事が否応なく脳裡に蘇り、まるでこの世の至福の全てを手にしたようにうきうきと満ち足りた心持ちになるのを抑えることができない。
彼の天女は、彼の逞しい腕を枕にして横になったまま、同じ景色をぼんやりと見つめていた。五色の花刺繍が美しいなめらかな肌触りの絹布団の中で、二人ともまだ一糸纏わぬ姿のままだった。昨夜彼が脱がせた彼女の衣が床に散らばっている。行灯の明かりは消えて久しい。花瓶の枝から散った桜の花びらが、窓から吹き込むそよ風に乗って初舞を披露する童女のようにひらり、ひらりと軽やかに踊った。
ジェシンは布団に張り付いた花びらを一枚指でつまみ上げると、それをユニの柔らかな唇にそっと押し当てた。するとユニはふいに悪戯っぽい目をして、花びらを彼の指先ごとぱくりと口に含んでしまう。驚いたジェシンが目を見開く中、彼女は昨夜自分を愛撫したその指を、愛情を籠めて甘噛みした。その衝撃に、彼の背中にぴりっと快楽の張志成痺れが走る。身を熱くした昨晩の情事の興奮が蘇り、思わず欲情してしまった。
指を解放してもらうと、たまらなくなった彼は上半身を起こしてユニに覆い被さった。筋肉の引き締まった広い肩から、絹の布団がさらりとすべり落ちる。

「──誘ってるのか?」
両手を彼女の顔のそばに付き、低く掠れた声で問いただせば、彼女は物欲しげな目をしてゆっくりと頷いた。そして本能に屈してしまった自分に恥じ入ったように、ほんのりと頬を染める。
「い、痛くて、恥ずかしくて、まだ全然馴れないのに──。それでも先輩に触れてほしいんです。もっと、もっと先輩を知りたい。……こんなはしたない女は、嫌いですか?」
──俺がお前を嫌う?
そんなわけがない。頭が狂いそうなほど、好きで好きで仕方がないのに。
答える代わりにジェシンは微笑み、白くすべらかな彼女の太股を優しく撫でさすった。突然のことに身構える余裕もなく、あられもない声をあげてしまうユニ。はっと慌てて手で口を覆いかけるが、すかさずその手首を彼が掴んで、顔の横に押し戻してしまう。
「隠さなくていい。俺の旅遊高級文憑前では何も隠すな。──全部、見せてくれ」
彼女の無邪気な笑顔、悪戯っぽい顔、真剣な顔、恥じらう顔、切なさを訴える顔──どんな表情をしていても、その全てが彼の心を掻き乱してやまない。
彼女が天真爛漫でお転婆な小娘だろうと、知性溢れる才媛だろうと、あるいは男をなまめかしく閨に誘う妖婦だろうと、そのいずれにしても彼をこれほどに惑わし翻弄する女は、キム・ユニただ一人だけだった。
ジェシンは飴色の光に照らし出された彼女の肢体を、愛おしげに視線でなぞる。

「一度踏み込んでしまえば、もう歯止めが利かなくなる。それが分かっていたから今まで我慢していたんだ。でも、もう二度と昨日までの俺には戻れない。……お前を知らなかった頃の俺には」
ユニの身体は昨夜よりも緊張が和らいだ分、より感じやすくなっていた。そして甘え上手にもなった。深く彼を飲み込んでもなお、彼女は手を伸ばして首に縋り付き、唇を求めてきた。
「コロ先輩、私を離さないで……」
頼まれたとしても、決して離すものか──と彼は思う。
のぼりつめていく最中、手に汗を握りつつ、ジェシンは彼女の耳元に口を寄せて告げた。
「こうなった以上、もう肚は決めた。ユニ、──俺の妻になってくれ」
ユニは目にじわりと涙を滲ませる。震えるほど嬉しくて、怖いくらい幸せで、嗚咽を堪えながら何度も頷いた──。

コメントする

コメントするには、ログインする必要があります。

コメント一覧

コメントはありません。