彼女を助けたき

投稿者:User icon mini sfdgewdfe 投稿日:2016/03/11 13:29

ていねいにたたんだ手巾を見下ろしながら、ジェシンは何度目ともつかぬ溜息をついた。
いつか泮村【パンチョン】の路地裏で、ならず者達に金を取り上げられてこまっている若い娘を助けたことがあった。その娘こそが、この手巾の贈り主であり、どういうわけか、ここ中二房での彼の同室者なの銅鑼灣髮型屋だ。
彼女を助けたきっかけは、決して恩を着せるためなどではない。最初は、博打で大損して不貞寝しているところを妨害されたことに、腹を立てた。さてあのならず者たちをどうしてくれようかと思いながら、筵の裂け目からそれとなく様子を窺っていると、娘の後ろ姿がすっと地に落ちた。金を奪われたのは自分なのに、盗人に頭を下げているのだとわかった。頭にかっと血がのぼり、もはや傍観者では居られなくなった。

気がつけば、手にしていた林檎を、娘に絡むならず者に向けて投げつけていた。
この子を守ってやらなくては、という使命感に駆られた。
「恩返しをさせてください」
いざ蓋を開けてみれば、娘はなかなか可憐な花ざかりの美少女である。決して下心があったわけではないが、女に免疫のないジェシンはつい、その真っ直ぐな瞳に心を揺さぶられた。娘の顔を直視できず、恩返しをするつもりなら二度と現れるなと言い差して、冷たく突きはなした。

もらったはいいが、手巾はあのあと止血には使わなかった。もったいなかったのだ。あの娘の手縫いだろうか、その手巾には福寿花の雪纖瘦刺繍がほどこしてあり、思いが込められたその花を血で汚すのはあまりにも偲びなかった。
もう二度と会えはしないだろう。だからこの手巾は、いい思い出としてとっておこうと思い、外套の衣嚢にしまっていた。だが、いまは暇さえあれば取り出して、思いを馳せてしまっている。
思いがけず、あの娘との再会が叶ったのだ。
けれど、二度と現れるな──と言ってしまった手前、本人に問いただすこともできない。あのときの娘はお前なんだろう、と。
それがなんとももどかしく、胸をかきむしりたくなるような思いだ。

「僕には恩人がいるんです」
愛くるしく笑いながらテムルが打ち明けてきたとき、ジェシンはぎくりと身体がこわばった。何も言えずに寝転瘦面療程がったままでいると、彼女がゆっくりと、書物をめくる音がきこえた。
「ここに来る前の話です。危ないところを、ある人に助けていただきました。僕は、恩をお返ししたいと言ったのですが」
テムルの声がふと切なげに揺れる。
「──もう二度と現れるな、とおっしゃるので、恩返しもできずにそれきりでした」
ジェシンの心臓は早鐘を打っている。うぬぼれだ、と自分を戒めるが気分が高揚するのを止められない。横顔に彼女の視線を感じて、なんともこそばゆい。

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